聖堂は開かれた場所です。
どなたでもご自由にお入りください。
当聖堂の正式名称
鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂( Kagoshima St. Xavier’s Cathedral )
この聖堂は、その名前が示すように、主として二つの目的で建てられました。カトリック鹿児島司教区のカテドラル(司教座聖堂)であること、日本にキリストの福音を初めてもたらしたザビエル渡来の記念碑とすることです。
司教座聖堂は、教区民の母なる教会として、その信仰生活に奉仕する場となり、また鹿児島における福音宣教の拠点となるところです。それにふさわしい聖堂であることを念頭に設計されました。
当聖堂の歴史
豊臣秀吉によって禁教令が出されてから明治6年まで、約300年間キリスト教は禁止され、様々な迫害を受けました。明治以降の鹿児島における宣教は、1891年(明治24年)に現在地で再開されました。
第一番目の聖堂
(1908年献堂)
石造り聖堂
本格的な石造りの教会としては、日本最初のもので立派な教会でありましたが、1945年4月8日、ミサの直後空襲のため焼失しました。
第二番目の聖堂
(1949年献堂)
木造聖堂
ザビエル日本渡来400年を記念して、ローマの寄付を基にして建てられました。献堂式には、「ザビエルの聖腕」と共に欧米から100人を越える巡礼団も訪れ参列しました。
現在の聖堂
(1999年献堂)
コンクリート聖堂
ザビエル日本渡来450年を記念し、信者はもとより、多くの方々の寄付によって建てられました。
【特徴】ザビエルが日本に来るとき、乗ってこられた帆船をイメージして造られ、一番目と二番目の聖堂の伝統を継承しています。
建設にあたっては、石造り、木造、コンクリートと素材はそれぞれの時代を映して異なりますが、ザビエルの偉業を記念し、その意志を受け継ぐ拠点にしたいという願いがどの聖堂にも込められています。ザビエルの願いは、つまり日本人に「福音」を伝えたいという一言に尽きます。その願いを受け継ぐ証として、現在の聖堂の建設においては、特に鹿児島の県民、市民の魂に役立つものでありたいという願いが込められています。
主聖堂(2F)
祭 壇
ミサ(最後の晩餐の記念)が行われる食卓。素材はタブの木
十字架
中央の十字架は地中海地方でよく見られる糸杉でできています。
祭壇横の十字架像は横尾龍彦作で典礼行列に使用されます。
聖遺骨
信者が、聖フランシスコ・ザビエルの偉業をしのび崇敬するために、ザビエルの体から取られた骨の一片が納められています。(バチカン証明書付)
ステンドグラス
赤色⇒殉教者の血の色、ザビエルの情熱
青色⇒祈り、静寂、ザビエルが渡ってきた海の色
十字架の道行
キリストの受難、死を思い起こしながら祈るキリスト者の伝統的な祈りの道を、日本画家「満田せいほう氏」がこの聖堂のために描いて寄贈されたオリジナル作品です。
パイプオルガン
スウェーデンのチュール社に制作を依頼し、2001年3月に完成しました。
小聖堂(1F)
キリスト像
小聖堂の正面の壁に復活のキリスト像を掛けています。両の手を斜め下に広げた柔和な姿は人々を優しく包み込むかのようです。【横尾龍彦作】
聖櫃扉
菩提樹の厚板に、五つのパンを入れた籠と二匹の魚が浮き彫りにされています。イエスが五つのパンと二匹の魚で五千人以上の人々を養った話(マルコ6章30節~44節)がありますが、以来、伝統的に聖体の秘跡のシンボルとされています。【横尾龍彦作】
ザビエルの鐘
高さ31メートルの鐘楼に吊るされた鐘は「ザビエルの鐘」と呼ばれています。
正午、夕刻6時に鳴り響き、信者を「お告げの祈り」(アンジェラス)に誘います。また、冠婚葬祭にも鳴らされ、鐘の背面には、ザビエルにまつわるエピソードに因んで、十字架を掲げるカニの姿が刻まれています。
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